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保津峡は、江戸時代の1606年(慶長11年)に角倉了以が、丹波の産物を京都に運搬するために造った水路である。今では主要な運搬物であった木材の需要が減り、観光客を対象とした保津川下りが有名である。保津川下りは、夏目漱石の「虞美人草」を始め、水上勉、三島由紀夫など多くの文学作品に登場する。保津峡は、京都府亀岡市から京都市右京区、嵐山の渡月橋に至る大堰川(保津川)の景勝地をいい、渡月橋からは桂川となる。
~ 落柿舎 ~
江戸の俳人、向井去来の草庵跡。去来は芭蕉門下十哲の一人。元禄4年(1691年)、芭蕉はここを訪ね嵯峨日記を書いている。茅葺きの屋根、土間の土壁に蓑と笠がかけられ「主(あるじ)の在・不在」を示す名残が今も残されている。去来の墓は、この庵の北裏手にある。近くには西行井戸もある。
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